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こんにちは!わたろうです。
あなたなら1億円拾ったらどうしますか?
ラッキーかもしれませんが、いろいろ騒ぎ立てられて、嫌がらせも相当うけるかもしれません。
さらにその拾った1億円が自分のものになっても約半分は税金を納めなくちゃいけないようです。
今回はその一億円を拾った人物である大貫久男さん。
1980年4月25日に「1億円拾得事件」で大きな注目をあつめています。
そしてその20年後に亡くなっています。
今回はそんな大貫久男さんについて
- 1億円の落とし主は誰?
- その後や死因
について調べていきたいと思います。
Contents
大貫久男と1億円拾得事件
大貫久男さん(当時42歳)は金物会社のトラック運転手をしていた普通のサラリーマンでした。
そして1980年4月25日に東京銀座の路上で、普通の人ならやり過ごしてしまうはずの風呂敷包みを発見してます。
当時、大貫久男さんは廃品回収をしていたので、風呂敷包みの中身が新聞紙だと思って中身を確認せずに回収したそうです。
自宅でその風呂敷包みを広げると、なんと1千万円の束が10個!
1億円の札束が目の前に出てきて驚いたとのこと。
これは誰でもおどろくでしょうね。
その後警察に届けると、新聞やテレビで報道され、有名になると待ち伏せているのは、数々の脅迫と嫌がらせだったとのこと。
6ヶ月後、落とし主は現れずに1億円は大貫久男さんのものになりました。本人は1億円が自分のものになってもうれしくなかったという。
※当時は拾ったものが持ち主が現れなかったら6ヶ月で自分のものになっていましたが、現在は3か月に変わってますね。
たしかに、宝くじで高額当選したら、親戚が増えるだとか、寄付を募る方がどんどんくるっていうことは聞いたことがありますが、こればっかりは、1億円を実際に拾ってみるとか、宝くじで6億円あたるとかという経験しないとわかりませんね。
当然、そんなことは全く経験ないですね。
1億円拾って、脅迫を受けたり、殺害予告をされることはされたくないので、1億円拾っても見てみぬ振りをするかもしれないですね。
大貫久男さんが拾った一億円は誰のもの?
1980年というと高度経済成長の途中で日本経済が潤っていた時代だと思います。
なので、表には出処が知られてはならない裏金の存在がたくさんあったそうです。
大貫久男さんが拾った1億円は、落とし主が現れなかったということ自体、そういうお金だったのでしょうね。
この1億円の持ち主として噂されていたのは、佐川清さん。この方は日本の大手物流会社の初代社長。苗字を聞いただけで、あっ!とわかりますね。
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あと、政治家の玉置和郎さんや相場師 加藤あきらさんの名前も挙がっていますが、この3人の方は、風呂敷包みの中に指紋があったからということで噂になっています。
実際には、誰のものかは確定はできていないです。
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大貫久男さんのその後は?
大貫久男さんは、1億円を拾って6ヶ月後に自分のものになっています。
拾った1億円は、所得とみなされ、所得税3400万円を税務署に収めています。
1981年には、別の会社でトラック運転手として再就職しながら、バラエティー番組に出演したりしてました。
1982年には、3700万円のマンションを購入し、大貫久男さんのような類似事件や竹やぶ2億円事件の時はコメンテーターとして出演していました。
大貫久男さんの死因は?
2000年に大貫久男さんが亡くなりましたが、死因はなんだったのでしょうか?
62歳という若さだったので、1億円拾ったことによる神経をすり減らしすぎたのかな?
トラック運転手をしていたので、トラックの運転手で一番多い過労死だったのかと思いましたが、死因は心筋梗塞だったとのこと。
心筋梗塞は、強いストレスが関与してくるので、一億円拾ってからのストレスが強かったことが原因で心筋梗塞になったのかもしれませんね。
まとめ
この事件を振りかえってみて、大金を得たことが幸せな生活を送れるとは、限らないですね。
でも生きているうちはお金はついて回ります。
大金を拾っていやがらせや脅迫を受けることの方が嫌ですね。
どっちがいいかは、その時の状況次第かなって思いました。
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